2014年7月16日水曜日

食のまちづくりに関しての勉強(4)

「勉強」というとやっぱり言い過ぎのような気がしますが、基本的な知識が足りないので、
本とかWebとかで色々と読み漁っております。

頭でっかち傾向のある私は、考えるばかりで答えが出ずダメダメなのですが、
その考えをまとめるため、そしてその文章を人の目にさらすことで意識を強め、
何がしかの答えに近づけるようにブログに書いちゃおうと思います。


ある本の小見出しに『「農家を守る=農業を守る」ではない!』と書かれていて、
「なるほど、確かに」と思いました。

本の内容はさておき、「農家を守る」と「農業を守る」はかぶる部分はあれど、
相反する部分もあることは確かなような気がします。

特に現在の日本の農家さんは、多くが高齢者となっています。
父親や祖父の代からその土地を耕し、これまでのやり方で数十年も農業を行ってきました。
なので今起ころうとしている大きな変化になかなか対応しきれない人が多いのも事実です。

しかし日本のこれからの農業を考えると、これまでのやり方を変えねばならず、
それは場合によってはこれまでずっと農業をしてきたベテラン高齢農家さんを、
ある意味排除するような形になってしまうかもしれません。

耕作放棄地が増えてきているのは、農業をやる人が減ってきているから。
農業をやる人が減ってきているのは、農業はしんどくて儲からないから。
という論理が成り立つとすれば、「では農業をしんどくなくて儲かるようにしよう」
という風に考えるのは当たり前のような気もします。

しかし農業には、「しんどくて儲からなくてもやる意味」があることも確かです。
日本の文化を守るためであったり、自然環境や景観をまもるためであったり。

農業を産業として自由競争で儲かることができる仕組みにしていこう、という考えと、
農業を公共・福祉事業と考えてみんなで支えていきましょう、という考えと、
二者択一ではなく、バランスを取らなくてはならないことはわかるのですが、
私はやはり、少なくとも優先順位は必要な気がするのです。

色々な意味で国にゆとりがあれば「両方同時に進めていきましょう」で
両方ともうまくいく可能性も高いとは思うのですが、
現在の日本は、色々な意味でゆとりがない国だと思うのです。

Aを作るのに100円かかります、Bを作るのにも100円かかります。
両方必要であることはみんなわかっています。
といった状況で、200円持っているのなら両方の材料買って両方作れば良いけど、
100円しか持っていない場合はどうでしょう?

AとBの材料をバランスよく50円ずつ買いました。
結果AもBも作れませんでした、ってのはいかがなものかと思うのです。

これは別にお金だけのことを言いたいわけではなく、リソース全体のことです。

お金も人もエネルギーも、無限にあるならごり押しでも良いのでしょう。
しかしそれらが限られていて、しかもあまり多くないって時は、
何か作戦を考えなくてはならないと思うのです。

で、その作戦で成功していると思われるのは、一極集中・一点突破ではないかと思います。
少ないリソースでも、何かに集中して注ぐことで他より優れることができるのかな、と。

その例としてオランダが面白い気がします。たまたまWebでみつけました。

オランダの農地面積は日本の半分以下なのに、農業輸出がアメリカに次ぐ世界2位だそうです。
「え?面積小さいのにどうやってそんなことができるの?」と思いましたら、輸出額が多いのは
観賞用の花卉やタバコ、チーズで、それらの原材料は輸入しているとのこと。
つまり加工して付加価値つけて売る、ってビジネスモデルなのですね。

さらにオランダは、自分の国で栽培している野菜もそれなりに頑張っているのですが、
それも土地が狭いもんだから作る品目をかなり限って栽培しているそうです。

ものすごい割り切り方だなぁ、と思いました。
国としてこれだけ割り切ってやっていくのは文化だろうなぁ、とも思います。

日本とは文化も状況も何もかも違うわけですし、別にオランダのやり方が良いから、
そのやり方に習うべきだ、と言いたいわけでもないです。

というよりも、上に述べてきたことは「資本主義の中で国際競争に挑むのであれば」
という前提での話であり、別な選択肢として「競争をやめる」という方法もあると思います。
私的には、それができるのが一番だと考えていたりもします。
(けどそれは土台無理な話なので、いったん置いておきまして。)

ちょっと話を広げすぎましたので、突然ですが無理やりまとめます。

あれもこれもそれも、全員の都合の良いように色々とことをバランス良くやれるに
越したことはないのはわかっていますが、それはゆとりがある場合のみ。
つまりこれまでの日本だったらそれも良かったのだと思います。

けどそのゆとりがなくなった今、そのやり方で競争に勝つことは無理でしょう。
そしてその競争をしないというのも無理でしょうし、
「競争に負けても良いや」と考えるのも無理でしょう。

で、勝たなきゃいけないならやっぱり取捨選択して優先順位つけて、
限りあるリソースを一極集中して戦う方法しかないんじゃないかな、と。

けどその取捨選択したり優先順位つけたりするのが、色々な文化・慣例・しがらみなんかで
なかなかできない状況にあるんだろうなぁ、と思うわけです。

国という大きな枠組みでなくても、市町村単位でも、場合によっては家族とか個人単位でも、
同じことが言えるのかもしれませんね。

うーん、文章の出だしと最後がちょっとズレちゃった気もしますが、ご容赦下さい。

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